3/16 救急車で病院→1泊入院

最期の時

こんにちは、鳳花です。

3月16日、救急車で病院に向かいました。

救急車で病院へ

一昨日くらいから調子が悪く、

・身体に力が入らず、自力で歩かない
・食べても吐いてしまう

というような状態が続いていました。

いつもは車で病院に行っているのですが、車までの距離でさえ歩くことができません。

病院に相談したところ救急車を手配してもらうことができ、なんとか病院に向かえました。

消防士さんが家に到着する前に私が母に靴下を履かせていると、

お母さん
お母さん

鳳花がお母さんを嫌いになってしまう…

と心配していました。
自分のことが自分でできないのを「迷惑なこと」と思っているようです。

鳳花
鳳花

ぜっっったいそんなことない!
生まれ変わってもお母さんの子どもに産まれるから!

と言うと、

お母さん
お母さん

なんでそんなこと言えんの~

と泣いていました。大好きだからに決まっています。


救急車の中では、何度も私の名前を呼び、手を握ってくれました。

救急車の中の母(顔は隠しています)

救急処置室にて

入院を頑なに拒む母と、処置室で話をしました。

私が何度も「元気になるために」「1日だけ」病院にいた方がいいと言うと、泣きながら1日だけならと承諾してくれました。

好き

大好き

生きたいよ

待っててな

と何度も言っていました。
その度に、私は手を強く握って返事をしました。

主治医の先生の話

血液検査の結果などを踏まえ、先生とお話ししました。

血小板が減ってきている。これは、骨髄に転移して、血球を作る働きを邪魔していることを意味します。

肝臓も腎臓も状態が悪いです。

いろんなお話をまとめると、「いつ急変してもおかしくない状況」とのことでした。

今までお母さんはすごくよく頑張ってらっしゃった。

でも進むスピードも速いし、薬の負担もあるし、ここら辺が限界だと思います。

本当によく頑張られました。


それでも、予後が非常に悪いと言わざるをえません。ご家族でこれからのことを話し合ってください。

なんとか光はないのかと、父は色々質問していました。
全てによい答えは返ってこず、父は部屋を出た後もずっと泣いていました。

入院の手続き

手続きやら検査の結果待ちやらで、結局救急車に乗ってから病院を出るまで5時間くらいかかりました。

救急処置室で話してからは、1回も母と会えませんでした。
コロナが無かったらなと、強く思いました。
 

母はいつも、私が母の頬に手を添えると微笑みます。

もう意識が朦朧としているのに。

本当に心の底から愛されているのだなと感じます。

私も、母のことがこんなに大好きです。

どうか、どうか生きてほしい。

今までずっと私を守ってきてくれた母を、次は私が守りたいです。

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コメント

  1. より:

    初めまして、慶と申します。

    お気持ち、痛いほど分かります。

    余計な事とは思いますが
    休める時には休んで、力の限り守って上げて下さい。

    応援しております。

    • 鳳花 鳳花 より:

      慶様

      はじめまして、コメントありがとうございます。

      慶様のお言葉からも、辛い悲しい気持ちがひしひしと伝わってきました。

      泣いてばかりでご飯もなかなか喉を通りませんが、寝られる時にばんがって寝るようにしますね。

      優しいお言葉・応援本当にありがとうございます!
      慶様もどうかご自愛なさってください。

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