こんにちは、鳳花です。
3月18日6時45分、病院から「母の容体が急変した」と連絡が来ました。
聞いた瞬間から、手を当てなくても心臓が動いているのがわかるほどバクバクしました。
でも変に冴えていて、すれ違った隣人さんに挨拶できたのは覚えています。
病院到着
父と急いで向かうと、母に意識はありませんでした。
不整脈をおこしていたようです。
ドラマでしか聞いたことのないような機械音が響いていました。
私は耳元でたくさん叫びました。
色々言いましたが、「頑張って!!」と叫んだ時、母が急に意識を取り戻しました。
私の姿が目に入ると、
「ほうかーー」「ほうかだいすき」
と泣きながら伝えてくれました。
父も母も私もたくさん泣きながら、いろんな言葉をかけました。
母はあまり呂律が回りませんが、それでもたくさん「大好き」を伝えてくれました。
しばらくすると疲れたのか寝てしまいましたが、脈は安定していました。
兄も到着
兄も全速で駆けつけました。
兄が来た時にも、ちゃんと認識して名前を何度も呼び、泣いていました。
兄と父と私の3人で、「入院を続けたほうがよいのか、家に連れて帰ったほうがよいのか」を話し合いました。
でもみんな「お母さんの希望通りに」と思っていたので、母に聞きました。
何度か聞いても返事がなかったのですが、兄が聞いた時、
「家がいい。家がいい。」
とはっきり言ってくれました。
「そうやんなぁ、家大好きやもんな、帰りたいよな」
とまたみんなで泣きました。
速攻いろんな手続きをしてもらって、2時間半後には家に連れて帰ることができました。
家に帰れるよと声をかけると、
「よかった。よかった。よかった。」と泣き笑いで伝えてくれて嬉しかったです。
いろんな手続きを必死でしてくださった病院の方には感謝しかありません。
病院からの介護タクシーに乗る前、これまでお世話になった主治医の先生と看護師さんに
頑張ってるけど頑張ってな。時間を大切にね。
と、肩をさすっていただきました。
また涙が出ましたが、しっかりお礼は言えました。
2日ぶりに家に帰れた
家に着いて業者さんが帰った後、3人で母に声をたくさんかけました。
「大好き」「愛してる」とたくさん伝えました。
母は目が覚めて笑ってくれました。泣いていましたが、とてもとてもかわいい笑顔でした。
その後、母の姉や母のお母さんが来た時も、しっかり認識していました。
大きな声で「頑張る」と繰り返し言ってくれた時もあります。
私たち家族もたくさん泣きましたが、母が頑張ると言っているのに私たちが悲観的になってはいけません。
「十分頑張ってるのに『頑張って』しか言われへんでごめんな。でも一緒に頑張ろう…生きよう。」と何度も言いました。
20時ごろから深い眠りに入り、次起きてくれたのは日付が変わった19日の1時ごろでした。
母は一生懸命手を伸ばして、私を抱きしめてくれました。
みんなのことも抱きしめていました。
生きようという言葉に、しっかり返事をしてくれました。
母に元気を与えるつもりが、みんな母から元気をもらっています。
本当に母はすごい人です。
母よりすごい人を私は知りません。
偉大な偉大な人です。
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