こんにちは、鳳花です。
今回は、最近の母を見て思うことを書いていきます。
有益なことは書いていないかもしれません。
プラスな気持ちもあれば、やっぱりきつすぎる現実に胸が締め付けられる時もあります。
弱る母に「命の覚悟をして」と言われた
母は2週間前、普通に歩いて、普通にしゃべって、普通に食べていました。
しかし、この2週間で急激に症状が進み、今や歩くのもままなりません。
トイレに行くにも、はいはいで行くくらいです。
手が勝手に動いてしまうためコップも持てず、一人で飲み物も飲めません。
会話の途中でも、糸が切れたように寝てしまいます。
それでも頑張って毎日自力でお風呂に入っているのですが、自分のにおいをやたらと気にします。
全然そんなことないのに、
自分がくさい。
自分がどんどん汚物になっていってる気がする
とよく言います。
否定したら、泣いてしまいます。
今日は、
次はこんなに早く死ぬ親のところに生まれてきたらあかんで。
こんな親でごめんなぁ…
これからは家族で頑張ってな。
その「家族」の中にお母さんはおらへんけど。
でも、鳳花は自慢の娘やから大丈夫。
と泣きながら笑っていました。
泣き笑いの顔を見るのが、一番辛いです。
その切ない笑顔を浮かべるまでに、どんなに思い悩んだだろうと思います。
どんなに一人で泣いたんだろうと思います。
最近はもう死ぬ前提で話をしてくるので、それも辛いです。
昨日も、
「命の覚悟をして」
と言われました。
そんなことなかなかできなくて、私は首を横に振りながら泣きました。
こんなに大好きな最愛の人の死を、そう覚悟なんかできません。
素直な母がかわいい
母は自分でできることが減ったので、「コーラを飲みたい」「鼻をかみたい」など、希望を全部口にします。
そのほうが、周りにいる私たちもありがたいです。
飲みたかったコーラを飲んで
おいし〜!
と笑う母が、私はかわいくてたまりません。
また、私が自宅に帰っていて2週間ほど会えなかったのですが、久しぶりに私が実家のドアを開けた瞬間から
あーーーほ〜う〜か〜
会いたかったよ〜〜
と、本当に「えーん」という言葉がふさわしいくらいえんえん泣いていました。
元気な時は子供の前で強がってばかりだったので、素直に思いを口にする母は新鮮です。
最近は昔のように「強い母」である時間が減ってきて、「子供のようにかわいい母」の時間が増えました。
本人は嫌でしょうし、いい傾向ではないのかもしれませんが、個人的には頼ってくれて嬉しいです。
母が昔から私を無償で愛してくれたのと同じように、私も「どんなお母さんも大好きやなぁ」と思います。
もちろんそのまま「どんなお母さんも大好きやで」と伝えています。
これからどうなっていくのか正直全然わかりません。
怖くて号泣する夜もたくさんあります。
でも、1日1日を大事に噛みしめようと思います!
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