こんにちは、コピーライターの鳳花です。
本日6/16 は、母のゲムシタビン療法の日でした。
でも、白血球の数が少なすぎて、抗がん剤を打てませんでした。
来週までお預けなので、本当なら1週間ごとに打たなければいけないところを、
2週間空いてしまいます。
【乳がんのゲムシタビン療法の副作用|1日ごとの記録と対策|現在進行形】
母も抗がん剤が打てないのはめちゃくちゃ怖いようで、
珍しく弱音が多かったです。
今回は、そんな母の弱音を聞いて、娘の私に何が出来るかを考えました。
結論から言うと、相談員さんに言われた通りです。笑
詳しくは【患者家族もOK!がん相談支援センターに行ってきた】に書いています。
点滴が受けられなかった母に言われたこと
明るく「ただいまー!」と帰ってきた
病院に行った母から、
点滴受けれんかった。
ちょっとプラプラして帰るわ。
と言われた時、
あー、泣いてるんやな
と思いました。
しばらくして母は
ただいまー!!
と、明るく帰ってきました。
私は玄関まで母を迎えに行きました。
顔を覗き込むと、母の目にじわっと涙が浮かび、
あかんなぁ。体がついて行かへんなぁ。
ごめんなぁ…
そう言って母は静かに泣きました。
お母さんのせいじゃないよ。頑張ってるよ。
玄関で立ったまま、お母さんを抱きしめました。
来週には白血球の数が増加しているはずなので、来週は抗がん剤が打てると思います。
抗がん剤が抜けるのは良くないので、これからは1回の量を減らして、毎週打てるようにするそうです。
「覚悟しといて」
抗がん剤治療ができないまま帰ってきた母のお腹は痛み始めました。
4月に子宮への転移が発覚したときは自覚症状が無く、痛みも無かったのに。
進んでるわ。半年も生きられへんかもしれへんわ。
もう無理や。もう頑張ったもん。
お腹痛いよ…
お金に余裕ができたらやろうと思ってたことも、もうそんな悠長なこと言ってられへん。
何にもできずに死んでいくんやわ。
……そんなことないよ。
そう言ってうずくまり泣く母に、私は何も出来ることがありませんでした。
ただ抱きしめたり、手を握ったりするだけ。
今までで一番痛かったそうです。
激しい痛みが収まってからも、鈍痛は続きました。
がん相談支援センターの相談員さんは「一緒にいるだけでいい」
と言ってくれましたが、やっぱり悔しいです。
私に何が出来るか、改めて考えました。
患者家族にできること
治ると信じる
がんと闘っている本人が感じる死の恐怖は、やっぱり私たち患者家族の想像を絶するものなんだろうと思います。
どんなに娘の私が怖がっても、母は絶対それ以上に怖いに決まっています。
だから、「必ず治る」と信じるのは怖いし、もう信じられなくなっている。
でも、気持ちが弱っていく母につられて、私まで弱気になってはいけないなと今日感じました。
母が怖い分も、信じられない分も、私は母が治ると信じます。
もし信じても報われない未来が待っていたら、それはそのとき考えます。
やりたいことはできるときにする
治ると信じ続けるのは前提です。でも、もしもの時に後悔しない行動もしていかなければいけません。
余命が半年だからといって、自由に動けるのも半年というわけでは多分ありません。
今日母が、
「もし胃に転移したら、美味しいもんも食べられへんくなるなあ」
とサラッと言いました。
「今が最悪の状況」と思っていますが、もしかしたら、もしかしたら他にも転移するかもしれません。
できることはできるうちにしたほうがいいですね。確実に。
相談員さんに言われた通りです。
結論:「最高」を信じつつ「最悪」に備える
「必ず治ると信じること」と、「後悔しないように備えること」は一見相反するように見えます。でも、どちらも母を思うからこその行動です。
相談員さんとお話しするまで、どちらか片方だけの行動を取ろうと考えていました。
でも両方私の素直な気持ちなので、両方に素直に従います!
1週間考えて、結局相談員さんが教えてくれた答えに戻ってきてしまいました。
やっぱり、それ以上のことはなさそうです。
夜中になって、どうしても寂しくなってお母さんとたくさん話しました。
行きたいところ、食べたいもの、やりたいこと。
全部叶えます。そのために貯金してきたし!!
今回は鳳花のひとりごとになってしまいました。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
コメントお待ちしております!
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