こんにちは、コピーライターの鳳花です。
【乳がんの抗がん剤治療の体験談|むくみが激しいドセタキセル療法】の続きです。
今回は、闘病のつらさから「抗がん剤をやめます」と言った母が、どのように回復したかをお話しします。
お医者さんに言われた希望の言葉
「腫瘍がだいぶ小さくなってきたから、手術ができます」
「え?」の一言だった。
辛くて生きるのを諦めかけたこのタイミングで、考えていないと言われていた手術ができるようになった。
手術の日がだいぶ先だったので、あと1回だけドセタキセルを頑張ることにした。
手術日までの恐怖と葛藤
抗がん剤を抜く恐怖
抗がん剤治療をすると、血液中の白血球が減ってしまう。
ある程度白血球の数値を上げるために抗がん剤を抜く必要があった。
抗がん剤は3週間に1回打っている。その3週間が過ぎて、薬が切れてくると、胸がどんどん張ってきた。
出来物もどんどん増えた。毎日1つずつ増えた。
もうすごく怖かった。
手術ができないんじゃないかと思うくらい出来物が増えてきた。
胸が腫れてきた。
痛かった。
怖くて病院に電話した。
「手術はします」と言われた。
でも怖かった。
夫が東京に出張になるかもしれなかったので、1週間手術を伸ばした。
その1週間でどんどん出来物が増えた。結局夫は東京には行かなかった。
もっと自分中心に考えればよかった。
すごく怖い1週間だった。
胸を切る葛藤
がんが進むスピードが速すぎて恐怖でいっぱいだった。
「早く胸を切りたい」
「でも切ったら女じゃなくなる」
「でも切りたい」
「でも無くなるのは怖い。女じゃなくなる。切りたくない」
という葛藤もあった。
でも胸を切らないと死んでしまう。
当たり前にあったのに。
女じゃなくなる。
形成外科の先生にも、
「広い範囲の皮膚に転移してて、その分広い範囲に皮膚移植をするから、
やっぱり見栄えは悪くなる」
と言われた。
手術成功
手術は無事成功した。
左乳房の全摘出、左の脇の下のリンパ節15個を切除し、
お腹から皮膚を移植する長い手術だった。
術後、朦朧とする意識の中で、「怖かった」と泣いた。
娘の前では笑顔でいようとずっと頑張ってたけど。
手術の1週間後、初めて自分の胸を見た。
人前に晒せるようなやつじゃない。
泣いた。
ほんまに無いんや。
やっぱり見栄えが悪い。
自分の体の状況に慣れるのにすごく時間がかかった。
お風呂入りながら毎日泣いた。
ずっと闘っている。
手術は「目に見えるがん」を取り除く。
ということは、目に見えていないがんは残っているかもしれない。
だから術後も、新しい抗がん剤が待っている。
次に飲む抗がん剤も白血球が下がるから、傷がある程度治るまで飲めない。
抗がん剤と同時並行で後から放射線療法も始まる。
闘病は終わらない。
【乳がん全摘手術成功後|辛かったことと嬉しかったこと】に続く
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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