サイトマップ

ブログ開設の経緯

こんにちは、鳳花です。

余命半年と宣告されてから、母は約11ヶ月生きてくれました。
ステージ4と言われてからは2年4ヶ月弱です。

これは本当にすごいことで、母の気力と根性によるものだったと思います。


2年4ヶ月を書いてきて記事数も多くなったので、簡単なサイトマップを作りました。

初めから順に読んでいただいても、最期だけ読んでいただいても、今ご自分がなさっている治療と被る部分だけ読んでいただいてもかまいません。

どなたかの闘病の役に立ったり、命の尊さを伝えられたりできたら幸いです。

以下のサイトマップは、サイトのヘッダー部分に表示されるカテゴリー分けに沿って書きました。目次をクリックすれば飛びます。

また、本ブログの記事は時系列に並んでいます。

ブログ開設の経緯

娘目線

娘、ライター鳳花のプロフィール
 母がステージ4の乳がんとわかってからブログを開設するまでの経緯を、娘の私目線で書いています。
 

母目線

ネットの情報を鵜呑みにするな!乳がんの兆候と発覚までの1年(前編)】から【乳がんの子宮及び両側卵巣への転移が発覚|余命宣告を受けて、今】まで
 母が体に異変を感じた時から、抗がん剤・手術を経て子宮に転移するまでの経緯を、母の感情を踏まえて書いています。

 このカテゴリーは全体的に感情メインです。
 症状を具体的に知りたい方は、次の「治療」カテゴリーをご覧ください。

治療

AC・ドセタキセル療法中の経過

乳がんのAC療法による副作用|1日ごとの記録から対策まで
乳がんのドセタキセル療法による副作用|1日ごとの記録から対策まで
 乳がんの治療によく使われる2つの抗がん剤について詳しく書いています。

 ドセ投与中に打ったジーラスタについては、
ジーラスタについてわかりやすくまとめた!効果・副作用とその対策】に書きました。
 

手術から転移発覚までの経過

乳がん全摘手術後の経過|痛みや見た目に悩んだ1ヶ月
 手術前後の身体の経過をメインに、身体の変化に伴う感情の起伏についても書いています。
 

再発・転移防止のための治療

TS-1服用の体験談|効果なし?乳がん転移で余命宣告
 手術後から転移が発覚するまで、約半年間飲んでいたTS-1についてです。

乳がん放射線療法の体験談|副作用と注意すべきこと
 30回にわたる放射線療法による副作用について詳しく書いています。
 

ゲムシタビン療法

乳がんのゲムシタビン療法の副作用|1日ごとの記録と対策】から【9/1 ゲムシタビン12回目|1日ごとの記録】まで
 計12回のゲムシタビン療法中の経過を、毎日更新しました。
 

エリブリン(ハラヴェン)療法

乳がんのエリブリン(ハラヴェン)療法による副作用|1日ごとの記録から対策まで】から【11/24 エリブリン療法8回目|1日ごとの記録】まで
 効果が出て腫瘍が小さくなり、その後骨への転移が発覚するまで計8回のエリブリン療法についてです。

 異変を感じ緊急で病院に行った日のことは
12/3 緊急で病院|CTで死ぬほどキツかった理由がわかる】【12/4 再び病院へ|MRIで転移の詳細が判明】に書いています。
 

ナベルビン療法

乳がんのナベルビン療法による副作用|1日ごとの記録】から【1/4 ナベルビン療法4回目|1日ごとの記録】まで
 効果が感じられずやめるまで計4回です。
 母には合いませんでした。
 

ゼローダ

ゼローダ服用|1日ごとの記録(1/12~2/2)
 副作用は出るのに効果は全く感じられなかったため、短期間しか服用しませんでした。
 正直「気休め」程度にしかなってなかったと思います。
 

抗がん剤をやめてからの様子

胸にできた傷(?)の正体|1日ごとの記録
2/15 抗がん剤をやめることを決意|1日ごとの記録
3/1 緊急でMRI。脳転移発覚|1日ごとの記録
 抗がん剤をやめてからの母の様子を毎日更新しました。
 子宮の痛みがなくなっていたのは、今思えば脳転移により麻痺していたせいです。
 転移によって母の苦痛が一つ減ったというひどい皮肉。

検査

それぞれの治療の節目にCTやMRIを撮っています。
こればっかりは単体で見てもなので、「治療」カテゴリーの記事とあわせて見ていただけると幸いです。

患者家族の考え事

母と時間を共にする中で感じたことを素直に書いています。
以下には、閲覧回数が多い記事を抜粋しました。

患者家族もOK!がん相談支援センターに行ってきた
 自分の素直な悩みを相談員さんにたくさんぶつけました。すごく救われるお言葉をいただけたので、患者家族の方には参考になると思います。

3/8 できることが減っていく母を見て思うこと
 母が私の知っている母じゃなくなっていくのを見て思うことを書きました。実は悪いことばかりではありません。大好きな人のことは、いつでもどんな姿でも大好きなものです。

最期の時

3/16 救急車で病院→1泊入院
3/17 入院中の母と父の面会|母の愛
3/18 早朝に病院から電話→家に帰る
3/19 ありがとう。だいすき。
 亡くなる最期の4日間のことを、覚えているだけ書きました。
 正直内容は重いです。でも、一番読んで欲しいところでもあります。

私は一般的な家庭よりかなり早かったですが、でも、大体の人は親の死をいつか必ず経験します。

だから、今の日常がどれだけありがたいことか・生きていることがどれだけ奇跡であるか、気づいてください
わかっているようで、経験しないと本当の意味ではわかることができません。

手遅れになる前に、私たち親子の経験を通して、いろんなことを考えていただけると幸いです。

フォトギャラリー

うちの3にゃんこ(1)
 をはじめとし、家で飼っている愛しのにゃんこたちの写真を載せています。

今は母との思い出を振り返ることがまだできないのですが、いつか母との思い出の写真も載せていけたらと思います。


以上です!
記事を追加した場合、随時更新します。

コメント

  1. Drゲルソン より:

    https://twitter.com/Siri51835924/status/1373201371743186949

    頑張ってください。
    悲しみは何時か緩んでくるよ。
    だから今は頑張ってください。
    あとあのURLは地震がおきるかもしれないと言う事で貼らせてもらいました。
    できるだけ、サポートはしていきます。

    • 鳳花 鳳花 より:

      Drゲルソン様

      本当にありがとうございます。

      私の最期のとき母に褒めてもらえるよう、一生懸命生きていきます!

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