はじめまして、ライターの鳳花(ほうか)です。
「ステージ4のトリプルネガティブ乳がんに立ち向かう|母と娘の共闘ブログ」をご訪問いただき、ありがとうございます!
このブログをきっかけに長いお付き合いになる方も、もしかしたらいるかもしれないので、少し長めの自己紹介をさせてもらいます😊
私は慶應義塾大学法学部に所属している大学生です。
今は休学中で、ライター・編集者として活動しています。
でも、元々はライターになろうなんて全く思っていませんでした。
ましてや、ブログを開設するなんて。
ただ、大好きなお母さんの生き様を、私が書かないといけないと思ったんです。
(以下、私とお母さんの2年間です)
私は昔からお母さん子です。
大きくなってからは、お母さんであり、親友みたいな存在になりました。
私が高校を卒業するまで、毎日お母さんと仲良く楽しく過ごせていました。
休日は二人でお買い物に行ったり、映画を見に行ったり。
正直面白くない映画でも、お母さんと見ればいい思い出に変わりました。
大学進学のために上京するときも、寂しかったけど笑顔で送り出してくれました。
「鳳花がやりたいことをするのがお母さんの幸せ」と言って。
(良いお母さんすぎる)
上京してからも、毎日LINEしています。
離れていても、繋がってる気分でいました。
2018年の12月23日、父から、
「お母さんががんになった」
と聞かされました。
「既にステージ4で、抗がん剤が効かなければ、2〜3年しか生きられない」
と。
毎日連絡していたのに、
たまに帰省していたのに
気付けなかった。
私に明るいLINEを送りながら、上京して不安な私を励ましながら、
一人でどれくらい辛い夜を過ごしたんだろう。
どんなに怖くて寂しかっただろう。
どれだけ無理したんだろう。
いつも優しいお母さんは、陰で泣いていたんだと知りました。
がんだと聞いた日から、まだ理解が追いつかない中、
「お母さんを失うかもしれない」
という恐怖で毎日泣きました。
一刻も早くお母さんに会いたくて、冬休みに入るとすぐ帰省しました。
「おかえり」
っていつもみたいに笑顔で言われただけで、涙が出ました。
いろんな話をしました。
お母さんは
「頑張って生きるよ」
と言いました。
それを聞いて、一緒に前を向くと決めました。
治ると信じて。
お母さんが辛い時に辛いと言えるような、頼れる人になろうと。
2019年1月、抗がん剤治療が始まりました。
学期末テストがあり、きつい副作用に耐えるお母さんを、
遠くから応援するしかありませんでした。
こないだ会ったばっかりなのに、一刻も早く会いに行きたくなりました。
3月にやっと、お母さんに会いに行けました。
お母さんは副作用に慣れてきて、元気な日が少しだけ増えていました。
私も新しいバイト先が決まり、素敵な仲間に恵まれました。
少しずつ、良い方向に向かっていると思った矢先、
父が不倫していたことが判明しました。
お母さんはずっと、
「一人で病院に行くのは怖いし、お金もないから帰ってきて」
と、単身赴任中の父に言っていたそうです。
それでもなかなか病院に行けなかったのは、
父が赴任先で不倫相手と住んでいて、
帰ってこなかったせいだったと聞きました。
お母さんは結局、一人で病院に行き、がんだと言われました。
不倫相手は、私の知っている人でした。
憧れた人でした。
父が早く帰ってきていれば、もっと早く治療が始められたのに。
大好きだった父と、憧れた人のせいで
お母さんが死ぬかもしれない。
お母さんはまた、暗い雰囲気にならないように明るく話していました。
無理してるのがバレバレで。
私はお母さんを抱きしめました。
一緒にめちゃくちゃ泣きました。
一時は私もお母さんも
「頑張って生きよう」
と思っていたものの、
お母さんのガン、
父親の不倫、
経済難
で、私は鬱だと診断されました。
お母さんも、
副作用でボロボロになり、裏切られたショックもあって
生きることを諦めかけました。
そして、抗がん剤を止めることを決意しました。
お母さんにとって重荷になるならと、
「生きて欲しい」という私の願いも
言えなくなりました。
しかし、「抗がん剤をやめます」と言いに行ったその日、
手術ができるようになったと告げられました。
「お母さんがまだ生きてくれる!!」
めっちゃうれしかったです。
2019年9月20日、手術の日
私を安心させるように笑顔で手術室に入っていったお母さん。
その姿が見えなくなった瞬間、涙が溢れました。
「どうか成功しますように」と祈るしかなかった。
手術は予定より40分伸びました。人生で一番長い40分でした。
手術は成功。
朦朧とする意識の中で、いつも笑顔のお母さんが
「怖かった」
と泣きました。
その涙を拭きながら、私も一緒に泣きました。
お母さんの努力もあり、そこからの回復はめざましかったです。
後遺症はあるものの、少しずつ「当たり前の日々」に戻っていくのがすごく嬉しかった。
2020年1月の検査でも異常なし。
治ったと思いました。
4月。
定期検診で「念のため」撮ったCTに影が写りました。
嫌な予感がしました。
でも、お母さんは元気です。
だから何でもないと信じていました。
信じていないと心が潰れそうでした。
4月23日。
お母さんがMRIの結果を聞きに行く日です。
病院に行ったお母さんから、
「会いたいわ」
とLINEが来た時、なんとなく全部分かりました。
「ごめんな」
「結果めっちゃ悪かった」
なんでこんな時まで謝るんだろうと思いました。
一番つらいのはお母さん自身なのに。
診断は「乳がんの腹腔内播種、子宮及び両側卵巣転移」です。
広範囲で摘出不可、余命半年。
「なんでや、ひどいわ」
「お母さんにただ笑って欲しいだけやのに」
「こんなん、あんまりやわ」
「半年って、クリスマスもお正月も迎えられへんやん」
号泣しました。
手術は成功したのに。
私は、兄と話しました。
「『ただお母さんに元気でいて欲しい』
その願いさえ贅沢で、当たり前じゃなくなった。
それなら最後まで思い切り楽しもう。
しんどくて挫けそうなお母さんを笑わせるのが
子どもとしての最後の親孝行や」
兄の言葉でまた泣きました。
お母さんも
「最後まであがく」
と言いました。
私は一番泣き虫だから、一緒に泣くことにしました。
そのあと一緒に笑えるように。
世の中に、闘病している人、必死に毎日を生きている人はたくさんいるでしょう。
でも、その中で「闘病生活を発信する術を持っている人」
「発信する気力がある人」は多分少ないです。
私には、ブログを作る知識があり、必死で生きているお母さんがいる。
闘病している誰もが、「自分は一人じゃない」と思いたい。
だから、お母さんが一生懸命生きている証を残すため、お母さんの体験を誰かの役に立てるため、ブログを開設しました。
がんと闘っている方へ
がんと闘う姿を見て、生きていること、当たり前が当たり前であることの素晴らしさを感じました。
頑張っている方々を尊敬します。
少しでも良くなりますよう、笑顔でいられますよう、お祈りしています。
死の恐怖と戦っているのはあなただけじゃありません。
一人じゃありません。
ずっとずっと笑っていられるように、一緒に頑張りましょう。
患者家族の方へ
一番辛くて苦しいのはがんと闘う本人だと分かっていても、
辛いものは辛いですよね。
一緒に頑張りたいので、どなた様もよろしければお気軽にコメント等
よろしくお願いします。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。
一人でも多くの人に、命の尊さが伝わりますように。
自己紹介と2年間でした!
コメント
文の構成が上手く直ぐに読んでしまいました。現在の心境は分かりかねますが応援しています。
コメントありがとうございます!!
文章の書き方は頑張って勉強しているので励みになります😭
命の尊さが少しでも伝えられたなら幸いです!